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2010年4月30日(金) あぁイリュージョン(幻想)


本日(4月30日)の定例記者会見で、一昨日大阪府で行われた橋下知事の記者会見で話題になった、大阪市の財政再建案を考えているという発言や、その個々の内容に触れられている点に対して、今日の私の定例会見で「大阪都構想」をはじめとするこの間の知事の発言に対し、改めて疑問を投げかけました。

きっと、メディアによっては「全面対決」とか「大阪都は幻想(イリュージョン)と批判」といった記事が出るかもしれません。実は、今盛んにもてはやされているかのように見える「大阪都」なるものの実現可能性よりもまず、大阪府が一体どういった状況であるのかという視点をお忘れではないかと疑問を投げかけたものです。

大きな疑問としては、大阪府の財政再建の道のりでは、避けて通ることのできないはずの減債基金取り崩しの実態把握がなされていないことと、大阪市の改革がまったく進んでいないように信じておられる点があります。

今、大阪府の特別顧問に就いておられる上山信一慶応大学教授は、関前市長の時代に「市政改革」に経営的観点からお知恵をお借りした方であり、その時点で出されたマニフェストに沿って当初目標以上の成果を挙げることができました。地下鉄民営化問題以外は上山教授からも評価していただける進捗度合いであると思っています。

勿論、まだまだ手をつけなければならない改革は山とあると思いますし、それを今年の秋には具体的に新たな方向性として出させていただこうと思っています。

去る2月22日に市の公館で開いた知事との意見交換会で、大阪市から府に対する具体的な要望をしました。その答えは「指揮官が一人になったら解決する」という論調に終始したことを記録を見ていただければ判ってもらえるはずです。私が「大阪府市解体」の中身が見えないことに対して、知事は4月以降にきちんとした方向を出すといわれ、それが出た時点でもう一度話し合いましょうと合意しました。

ところが、大阪維新の会の綱領はでましたが、そこには「ワンオーサカ」を目指すということが書かれているだけではないでしょうか。具体的な「大阪都」の区割り案などについて、既に取り上げているメディアもありますが、知事が代表をされている「大阪維新の会」からの正式発表資料ではまだ出ていません。

今大阪府にとって大事なことは、府の財政再建にとって、あの5000億を超える、本来は積み上げていなければならない減債基金に何故手をつけてしまったのかという検証や、それを含めてこれからの税収減にどう対応するのかということを情報公開されるなど、まず府の財政の問題をきちんと見ることではないでしょうか。そういう意味でも上山教授という特別顧問を置かれているのですから、大阪市の財政再建よりも、是非足元をしっかりと見ていただきたいというのが、大阪市民であり、大阪府民でもある私の願いです。

2月22日の意見交換会では、まず私が市からの要望を4項目お願いし、それに対して橋下知事が一つの大阪になればすべて解決するという展開になりました。その会議録を大阪市のホームページに掲出しております。2時間近くにわたり、議論がかみ合わないままで終わったという新聞、放送の報道内容でしたが、このゴールデン・ウィークの期間、もしお時間がおありなら、かなり長文ではありますが、是非そのやりとりの全容を知っていただきたいとリンクを貼ります。
http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/cmsfiles/contents/0000069/69975/220222ikenkoukangaiyou.pdf
私は就任以来、地下鉄民営化を全面否定した覚えはありませんし、森之宮ごみ焼却場の問題についても「凍結発言」以降、全ての情報をきちんと出してきたと思っています。また、私が「外部の意見を聞こうとされていない」という発言は事実とはいえません。

知事の凄い発信力、発言の強さは意見交換会の記録を見ていただいても、この間の「大阪維新の会」立ち上げの際の発言でも十分承知しており、今年になって完全に軸足を「解体論」に置かれている背景には、一番影響力を行使できるはずの府の財政が抱える大きな問題から目をそらすイリュージョン(幻想)だといわざるを得ません。

是非、お互いがいろんな情報交換をできた初心に帰っていただいて、今できることをやっていただき、府市協調して大阪市民、府民の幸福を追求する動きにつなげたいという思いで書きました。

2010年4月27日(火) 平松事務所の所長逝く


元気メッセージというタイトルには全くそぐわず、しかも、私事に近いことを書かせていただくことを許していただきたいと思います。

平松事務所の高本正大所長が4月24日の午前、ガンの為亡くなりました。家族、近親者のみで26日にお別れの会が開かれ、故人の「無宗教で送って欲しい」という希望に添い、奥様が選んだ生前の高本氏を彷彿とさせる写真をモニター画面でのスライド形式で見ていただきながらの献花で、親しかった人たちに見守られながら63歳の人生のお別れ会でした。

私が市長選挙に出ることになったそもそものきっかけを作ってくれた(市長選を振り返った本「勝ってもうた」34ページに彼との出会いが書かれています)高本氏だけに、遺影を見ながら30年近くにわたる彼との付き合いを思い出さずにはいられませんでした。

今年の初めに母を送った時も、彼が何かと段取りをつけてくれ、諸事滞りなく済ませてくれましたが、その時には彼も気付かないうちに病魔が体を蝕んでいたのでしょう。発見が遅れ、精密検査の結果、手の施しようがない状態であるという最終診断が下ったのが3月初旬、それからの病室での彼は、医師も驚くほどの精神力で病と正対して、事務所のことなどを気にかけてくれていました。

もし、これを読まれて、彼をご存じの方がおられましたら、海が大好きで、賑やかなことが大好きで、若い時にはかなりやんちゃなこともし、それでも平松事務所所長として私のことを懸命に守ってくれた彼の冥福を祈っていただきたいと思い、しばらくご無沙汰していたこのブログを書いています。

大阪市長として一時の停滞も許されない市政改革と財政再建という大きな荷物を背負うことを承知で立候補、当選以来2年4か月以上走ってきましたが、その陰には様々な人々を紹介してくれ、また、彼の経験からくるセンサーで微妙なやり取りなどもきちんとこなしてくれていた所長がいました。

彼が亡くなる二日前に病室で「市長、お別れの会ではいつもカラオケに行ったときに最後に歌っていた「マイ・ウェイ」を弔辞の後で歌って下さい」と言われたときに「あほなこと言わんといて。そんなん歌えるかいな」といったものの、いつか彼を思い出しながら歌う日があると思っています。

そもそも知り合ったきっかけが、小さなカラオケスナックで知らない同士で笑いながらマイクの取り合いに近いことをしたことが、ここまでの付き合いになるとは…。

そして、彼と飲みに行ったときには、そろそろ帰らないとという時間になると、いつも「ではいつもの『止め焼香』に参りましょう」と促され、興が乗った時には披露させていただいていました。私が覚えている「マイ・ウェイ」は岩谷時子さんの訳詞といわれているもので、カラオケで画面に出てくる歌詞「今、船出が近づく~」とは全く違います。昔、鳳蘭さんから歩きながら教わった歌詞で、間違って覚えている可能性もあります(岩谷さんお許しください)が、その歌詞を紹介させていただいて、お別れの会で歌えなかった彼への詫びにしたいと思います。

  やがて私もこの世を去るだろう
  長い歳月(としつき) 私はしあわせに
  この旅路を今日まで生きてきた いつも私のやり方で

  心残りも少しはあるけれど
  人がしなければならないことならば
  できる限りの力を出してきた いつも私のやり方で

  あなたも見てきた 私がしたことを
  嵐もおそれずひたすら歩いた いつも私のやり方で

  人を愛して悩んだこともある
  若い時には激しい恋もした
  だけど私は一度もしていない ただひきょうなまねだけは

  ひとはみないつかは この世を去るだろう
  誰でも自由な心で暮らそう 私は私の道を行く

  合掌。