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独占手記「大阪は独裁・橋下知事に屈しない」(文芸春秋11月号掲載)

さる10月8日に発売された文芸春秋11月特別号に寄稿した手記を、文芸春秋社の了解を得て全文掲載します。サブタイトルは「恐怖政治から大阪市民を守る―11・27市長選に向けた「決起宣言」」です。

大阪市は今、存亡の危機にあります。「大阪都構想」なるものを掲げるポピュリスト、いや、最近では堂々と「独裁が必要だ」と広言している橋下徹という破壊者によって。

大阪府知事でありながら、同時に「大阪維新の会」という地域政党の代表である橋下氏は、大阪市を敵だと一方的に決めつけ、圧倒的な支持率を背景に、独善的な政治的主張を盛んに繰り広げています。その発言は、知事と政党代表としての立場が区別されることなく、マスメディアによって刺激的に報じられ、あたかも「改革の旗手」であるかのように映っているかもしれません。しかし、大阪市長として、彼とさまざまなやり取りをしながら近くで言動を見てきた私からすれば、つくづくその手法や考え方ほど危険なものはないと感じるこの頃です。

橋下知事は、十一月二十七日に行われる大阪市長選挙に、知事を辞任して出馬する構えを見せています。そして、自分と気脈の通じる人物を後任の知事に推し立て、大阪市だけでなく、周辺の自治体を解体する構想を推し進めようとしています。東日本大震災で私たちが学んだのは、中央集権と経済成長一辺倒で走ってきた戦後社会の脆弱性と同時に、多様な地域が支え合い、協力し合って困難に立ち向かうことの大切さだったはずです。市長就任以来、役所文化を改革する為には、絶えず市民と直接触れ合うことで、大都市としての行政であっても市民の思いや動きを反映させながら、関西圏の経済活性化に繋げるかに腐心してきた私にとって、彼のような考え方が通れば、「自治」「自立」「公共」といった、これから私たちが再構築していかねばならない社会の仕組みが破壊されてしまう。意見や立場を異にする相手に対して、話し合いで調整や合意点を探るのではなく、問答無用で切り捨てるような恐怖政治がまかり通ってしまう。大阪市の瀕している危機は、そのまま地方自治の危機であり、民主主義の危機だと感じます。

橋下知事のいったい何が危ういのか、そして、彼の主張する構想や大阪市攻撃のどこに決めつけや誤りがあるのか、それをまず明らかにしたうえで、私が大阪市長として、この四年近くの間に考え、実行してきたこと、さらには、今後目指してゆく地方自治の姿をこれから書き記します。私は先月十九日、二期目の市長選に挑戦することを表明しました。これは橋下知事、いや、「大阪維新の会」の橋下代表と戦う私の決起の一文でもあります。

なお市長という「政治家」に分類される職にある者として、感情を交えいわば生身の「人間平松」として書き記すことが皆様に違和感を与え、「政治家」としての弱さとも受け止められるかもしれませんが、いま大阪市を中心に生じている出来事を皆様にヴィヴィッドにご理解頂くため、敢えて飾ることなく、この稿を取りまとめましたことを申し添えます。

決め付け、切り捨て発言の数々

橋下さんの思想信条がどこにあるのか、実は私にはまったく分かりません。大阪府知事として彼がどんな成果を上げてきたのか、何を目指しているのか、それも分からない。基本的には、市場原理主義やネオリベラリスト(新自由主義者)的な自己責任論、つまりは強者の論理を信奉しているのでしょうが、単純にそれだけでもないようです。その場その場でメディア受けを狙った発言を繰り返すため、首尾一貫した思想や哲学といえるものが見えてこないのです。アドバルーンを上げて世論やメディアの反応を探り、前言撤回をしても、それを「潔さ」だと見せる手法にまんまとメディアも乗せられてしまっている。

普天間基地の移設先が問題になっていた時も、彼は個人的な考えとしながらも「関西国際空港でその機能を受け入れることも検討すべきだ」と発言しました。実現不可能だと分かっていながら、とりあえず耳目を引く極論をぶち上げる。しかも、発言の約一年後、仲井真弘多沖縄県知事が関空視察の意思を示されたのに対し、「関空は伊丹空港と統合の話がスタートしたので、(視察するなら)神戸空港へ」と突き放しました。政局漫談レベルなら許されても、現職知事が軽々に口にするような発言ではありません。

震災後から盛んに言い始めた原発に関する発言にしてもそう。関西電力の十五%節電要請に対し、「府は協力しない」と一蹴し、「原発が必要なら電力消費地の大阪に造るべきだ」などと言い放つ。私も、火力などのいわゆる埋蔵エネルギーを活用し、代替エネルギーの開発に取り組んだうえで、将来的に、反原発ではなく脱原発を目指すべきという方向性は同じです。関電に対し節電要請の十五%という数字の根拠が示されないのはおかしいということを指摘し、節電効果を問う公開質問状も出しました。筆頭株主でもある大阪市の市長として、初めて株主総会に出席し、意見も述べました。ある日、府庁で記者会見する際の背景ボードにこんなキャッチコピーがあって驚きました。「エアコン切れば原発止まる」。猛暑で高齢者が熱中症になったり、病人を抱えたりしているご家庭だってある。設定温度を変えるだけでも節電効果はあるのに、あのコピーを見た人たちはどう感じるでしょうか。

「発信力がある」とされる彼の発言というのは、結局こうしてさまざまな問題を切り捨てて単純化・短絡化しているだけなのです。だから、彼の言葉はワンフレーズで力強く、分かりやすい。でも、そんな分かりやすさは危険です。何度かフォーラムや意見交換会で同席しましたが、彼とは対話が成り立たない。あらゆる問題を自分の恣意的な価値観によって「イエスかノーか」「賛成か反対か」の二者択一の設問に変え、単純明快な回答を迫る。自分と意見が違えば、こちらが守旧派であるかのように決めつけ、一蹴する。世の中の不満や閉塞感に乗じて敵を作り上げ、嵩にかかって攻め立てる。そういう相手と対話が成り立つはずがありません。

弁護士時代と同じように、少々乱暴な表現や過激な主張をしても許されると彼が思い込んだきっかけは(二〇〇九年三月の)国の直轄事業負担金をめぐる「ぼったくりバー」発言ではないでしょうか。メディアで大きく報じられ、喝采を浴びたことで、本人も手ごたえを感じたでしょうし、メディア側も見出しになる発言をすると、折に触れてコメントを求めるようになった。発言や施策の中身がきちんと検証されないまま繰り返し流されるうちに「ヤンチャやけど、おもろいことを言って頑張っている」というイメージができ上がっていく。あらゆるメディアを通じて、同じフレーズが幾度も繰り返され、印象操作とかサブリミナルという以上の影響を与えているのではないでしょうか。メデイアの役割は、事実をどう正確に視聴者に届けるかであり、善良な人たちを集団催眠にかけることに手を貸すことではありません。メディアにいた人間として、いまさらながらにその責任の大きさを痛感します。

そして、ある時期から攻撃の矛先が大阪市へ向かうようになり、「大阪の停滞の原因は大阪市役所にある」「市役所を解体しなければ大阪の再生はない」という大阪市悪玉論へ急速に傾いていったのです。

地方分権に逆行する「大阪都」

そもそも、橋下知事と私は最初から対立関係にあったわけではありません。大阪府と大阪市というのは歴史的に対立することが多く、「府と市で府市合わせ(不幸せ)」などと揶揄されてきました。極端な例としてバブル末期には建設中のビルの高さを競い合って計画を変更したという「伝説」もあります。そういう役所文化を変え、行政の無駄をなくすため、民間出身の首長として、私たちはほぼ同じ時期に役所に乗り込みました。共にテレビの世界にいた──彼はコメンテーターで、私はアナウンサーと立場は異なりますが──ということもあり、最初のうち私たちの関係は良好で、それまでの府市の溝を埋めるべく連携を模索していたのです。

ターニングポイントは、水道事業の統合協議でした。いわゆる二重行政解消の象徴(厳密には違うのですが)ということで、すべての情報をオープンにして何度も協議を重ねました。その結果、大阪府内の市町村へ送水している府の水道事業を市が受託するコンセッション方式への移行で合意し、覚書を交わしました。二年前の九月のことです。各市町村との調整は「府」が責任を持ってやることになっていたのですが、橋下知事は市町村をまとめられなかった。昨年二月に行われた知事との意見交換会で「府の水道部あるいは府営水道協議会に対してどういった動きをされたのかというデータをお示しいただきたい」と要望しましたが、一切回答はありません。「まとめる」動きをされたのかどうかも示されない。しかも知事は「大阪市が他の市町村から信用されていないからだ」と責任を転嫁してきました。それも直接ではなく、メディアを通じて。方針変更についても、協議打ち切りについても、何の連絡もありませんでした。逃げ足が速く、言い訳だけは巧み──。この一件で、私は彼が信用に足る人物なのか大いに疑問を持ちました。

昨年の一月、橋下知事は唐突に府市再編を口にしました。「アジアとの競争力を持つには(行政の)規模が必要」「一回(大阪府と大阪市を)ぶち壊して新たな大阪を作っていく」と。それが、現在の火種である「大阪都構想」につながっていくわけです。その構想も二転三転、方針が迷走し、内容がなかなか定まらなかったようですが、先ごろ発表された推進大綱なるものによると、だいたい以下のようなものです。

政令市である大阪市、堺市を分割し、人口三十~五十万人の「特別自治区」とする▽特別自治区には公選区長と議会を置く▽「都」が成長戦略や広域行政を、「特別自治区」は住民サービスを担う▽税財源は地方交付税などを都に三十九%、区に六十一%配分する▽二〇一五年四月一日から都に移行

もっともらしく人口規模や税配分など並べていますが、いずれの数字にも根拠はなく、どう区割りするのかも示されていません。「自治体は三十万人が適正規模」と彼らは言いますが、それを裏付ける試算や学説がどこにあるかも不明です。何より、大阪・堺両市議会での議決、住民投票から法整備まで、さまざまな手続きが必要となる制度変更をたった四年足らずで終えると言い切る無責任さ。どこまで本気で言っているのか疑いたくなります。また、大阪・堺両市以外の市町も三十万人規模に編成して中核市並みにする、とこれまでになかった話も出てきました。

「大阪都構想」に反対する理由はたくさんありますが、最大の理由は地方分権に完全に逆行する考え方だからです。上から市域を切り分けて財源や権限を「都」に集めるという発想は、戦時下、彼が尊敬すると称している東条英機首相(当時)により首都防衛のために導入されたもので、地域主権でも何でもなく、狭い府域に新たな集権機構を作り出すだけです。地域が積み重ねてきた歴史や文化、産業の集積や住民の構成、地域間バランスも何もかも無視して、人口規模だけで一律に再編すれば効率的に管理・運営できると考えているのも問題です。街は機械のパーツではありません。

彼らの発想は常にそうです。文化や伝統、個性といったものを軽視し、すべてを効率論と経済合理性だけで語る。今思えば、知事が就任直後、府職員たちに言った「あなたたちは倒産会社の社員だ」という発言は象徴的です。自治体の運営を企業経営やビジネスとまったく同じだと考えているのでしょう。カネを生むものだけが偉いのであって、そこには「公共」を支える意識も少数者への配慮もない。地域の問題意識や住民の創意工夫を積み上げていき、行政はそれを解決・実現するためにサポートするという、これから目指すべき「自治」や「協働」の発想もまったくない。

区長公選をはじめ、選挙の導入にこだわるのは、一見民意を装いながら、実は「選挙で勝てば何でもできる」という驕りがあるからだと思います。彼らの民主主義理解は、「勝った者が総取り」の弱肉強食社会を肯定するような市場原理主義に基づいており、極めて浅薄です。統一地方選で府議会第一党となった維新の会が、「職員基本条例」「教育基本条例」といった問題の多い条例案を、公約に一切謳っていなかったにもかかわらず数の力で強引に通そうとするのも、その表れでしょう。繰り返しますが、「選挙で勝てば何でもできる」というのは民主主義ではありません。少数意見とどう折り合っていくか。多様性をいかに担保していくか。私はそれが民主主義にとって一番重要だと思っています。

市民生活に根差した改革を

どうも、独裁批判だけに紙数を割きすぎてもいけませんので、少し話題を変えましょう。橋下知事及び維新の会とは異なる立場で私が取り組んできた市政改革とは何か。どんな都市の将来像を描いているのかを説明します。

大阪市は長い間、東京一極集中による企業流出や不況の影響を受け、税収が落ち込む一方で、市の職員が多過ぎる「高コスト体質」を指摘されてきました。現業職員の多さも一因ですが、その背景には大阪が都市として発展してきた歴史があります。そのうえ、私が就任する前には「職員厚遇」が大きな社会問題になったり、就任後も数々の不祥事が頻発したり、職員のモラルを問われるような事態も相次ぎました。そのことは率直に認めなければなりません。だからこそ、高コスト体質を改め、職員のモラルや資質を向上させる取り組みを進めてきました。

市政改革は、關淳一前市長がまとめたマニフェストを基本的に踏襲するところから始まりましたが、職員の削減数では、關マニフェストが当初掲げた「五年間で七千人削減」を大幅に上回り、既に八千五百七十人削減を達成しています。前市長は「五年間の採用凍結」としていましたが、それでは組織に断絶が生じるため、採用数は大幅に絞りながら再開したうえでの達成です。二〇一五年度までにさらに五千人減らし、市民一人当たりの一般行政職員の数は横浜市並みにする予定です。平均給与月額もカットにより、十九政令市中十五位ですから、下から数えた方が早い。また、昨年三月には職員の服務規律を厳格化しました。停職は最長三ヵ月だったのを一年に延長、懲戒処分二回以上で分限免職検討のルール化という日本一厳しい規律です。

市債残高はまだ五兆六百八十八億円に上っていますが、私が就任前の平成十六年度まで増える一方だったのが、翌年以降は年々減り続け、今年度までに四千億円以上縮減しています。実質公債費比率(税収に占める返済負担の度合い=返済能力のこと。低いほど健全)も一〇・二%(二〇一〇年度)まで下がっています。ちなみに、同じ年度の府のデータは十七・六%。橋下知事は「一千億円の財政収支を改善」などと誇っていましたが、府債残高は六兆円以上と、借金は増えているのです。一部メディアは、府と比較する紹介に対して「泥仕合」と報じることがありますが、最初に「改革は止まった」と〝口撃〟されたのは大阪市であり、事実をもって反論しているに過ぎません。

しかし、リストラやコストカットだけでは、街の将来像や成長戦略は描けません。新しい産業分野での取り組みも進めています。例えば、東日本大震災で必要性を痛感した代替エネルギー対策もその一つ。大阪湾岸の夢洲(ゆめしま)では、最新鋭の天然ガス火力発電所整備のための調査を指示しました。ゴミ焼却炉発電とバイオマス資源の利用や、既に事業化へ向けて動いているメガソーラーを組み合わせて、脱原発や「エネルギーの地産地消」を進めるという方向性です。

さらに大きな夢の話をすれば、大阪市立大で研究を進めようとしている「人工光合成」があります。「複合先端研究機構」の神谷信男教授グループが、光合成の際に水を分解し酸素を発生させる分子構造を世界で初めて特定、科学雑誌「ネイチャー」電子版に発表しました。簡単に言えば、太陽とCO2からエネルギーが作れる―という研究で、そうなれば完全な循環型社会が実現します。そのため、秋の補正予算案に研究拠点整備費を盛り込みました。

他にも、大気や水質の公害を克服する過程で蓄積された大阪・関西の企業の環境技術は世界トップレベルですし、大阪市が誇る長い歴史を持つ上下水道の技術力もある。今、これらをアジアなどの海外に官民連携でプロモーションしており、関西系企業の発展がひいては雇用に繋がり、さらに税収増に結びつくという夢を描いています。

大阪市は、イギリスの「エコノミスト」誌が世界主要百四十都市を調査した「最も住みやすい都市ランキング」でアジア第一位、世界でも十二位の高評価を受けました。もちろん嬉しく思ったものの、私としては、意外というほどでもありません。官民一体で進む水辺環境の整備や様々な都市の魅力向上のイベントに加えて、「街頭犯罪ワーストワン」などという、むしろ隠しておきたいイメージを逆手に取り、この三年近く汚名返上に向けて市民と一緒に取り組んできたからです。その結果、「大阪の代名詞」とまで言われたひったくり件数一位を昨年返上するなど、プラスイメージの発信に変えることができました。大阪市の都市環境は、着実に良い方向へ変わってきています。「住みたいまち」は、企業にとっても「進出したいまち」。こうした取り組みは究極の企業誘致戦略になるでしょう。

カジノ構想を掲げる橋下知事は「猥雑なものは大阪で引き受ける」などと言っていましたが、そんな底の浅い文化観ではとても追いつかないほど、大阪の街はどんどん変わってきている。それを皆さんに知っていただきたいのです。彼が喧伝する大阪市悪玉論などに惑わされず。

橋下知事の派手な言動をメディアで見慣れている方々から見れば、私のやってきた仕事は地味に映るかもしれません。しかし、大阪市は大都市でありながら、府と違って、直接市民生活に関わる基礎自治体です。身近なところから、地道な取り組みを着実に重ねていくことが大事な改革の一歩です。そこから始めることなく改革はあり得ません。

大阪に「恐怖政治」は要らない

先ほどさまざまなデータや事業を並べて市の現状や将来構想を語りましたが、大阪市の最大の魅力は「人」。やはり「人」こそ資産だと私は思っています。市長になってさまざまな地域の行事や集会に顔を出し、活発な市民の方々とお話しするとつくづく感じます。大阪市は二百六十七万人の大都市ですが、地域振興会(町内会)の加入率が今でも七割を超えています。元々、自治や自立の意識が強い土地柄です。これは幕府の直轄領となり、武士よりも町人の方が圧倒的に多かった江戸時代からそうですが、お上に頼らず、自分たちで町を運営してきた歴史があります。号令一下で、行政の枠組みを変えればすべてうまくいくかのような上からの発想は必要ないし、なじまないのです。大阪市は近隣市と連携し、また京都・神戸・堺という政令市との絆を強めて関西圏域の発展に寄与する方が、「大阪都構想」なんてものを考えるよりも、よほど重要だと私は思っています。私が出馬会見でお話しした「特別自治市」の考えが、大阪市はじめ政令市が府県から独立するだけのように取られる方もいますが、これは近隣市と互いに連携し補い合うことが前提になるもので、そういった連携をより強力に進めることに繋がります。

私は今、「あなたは改革の旗手か」と問われれば、違うと答えます。なぜなら、昨今メディアなどでもてはやされる「改革」とは、既存のシステムや制度をぶち壊すだけの一面的なイメージで語られていると感じているからです。公務員さえ叩いていればいいという風潮や、市民の不安と不満を煽ってバッシングを繰り返す扇動的言説は、やがて「公務員無用論」に行き着くでしょう。

確かに、大阪市のお役所文化は改善の途上であり、まだまだ直すべき点は多い。やたらと縦割りに縛られた職員の意識を変え、コスト削減や市民への説明など市民感覚を徹底させていかねばなりません。その成果は確実に出ています。

市長特別顧問になっていただいている内田樹神戸女学院大学名誉教授から「ブリコラージュ」という考え方を教わりました。手持ちの物を組み合わせてやりくりし、しかも新たな価値を作り出す―というほどの意味と理解しています。先進国経済が一瞬にしてどん底に落とされたリーマンショック、その前のバブル崩壊、そして大震災。この閉塞感に満ちた現状を打ち破るのに、逆らうものは倒してしまえというやり方がふさわしいとはとても思えません。

橋下知事は「今、独裁が必要だ」と語った同じ席で「大阪市の権限、力、お金をむしり取る」と気勢を上げたそうです。結局、それが本音なのではないでしょうか。目障りな大阪市を解体して存分に権力を操りたい、と。また、つい先日は、維新の会の大阪市議たちに市職員を調査・評価させ、「大阪都構想」に反対の職員は外すとぶち上げました。まだ出馬も表明しないうちから職員を恫喝するなど言語道断です。独裁者の恐怖政治から大阪市民を守る。市長として絶対に負けてはならない闘いになる。そう私は覚悟を決めています。