記事の方から近づいてくるとき

23日にアップしたブログに書いた「教師」から受けた影響について、2010年、「現代ビジネス」に5回連続で取材を受けた2回目 の「2頁目」にも書いて貰っています。私の原体験といえるかもしれません。3年前の取材記事が、瞬時(ワンクリック)で呼び出せるという「技術の進歩」に感激しますよね。

何かテーマを決めると、それが連鎖反応的にソースの側から近づいてくるという経験って結構あるような…。結局、潜在的な自意識が「ほら、ここにもあるよ!」と訴えてくれているのかもしれません。そういう意味で、24日の朝日新聞の社説、「『教科書選び』 教委の介入はいらない」はその種類に入るかも。

何しろツイッターなどで大阪の教育の現場がどうなっているのか、ナマ情報を知りたいという呟きをしたり、たまたま出会った学校関係者から「悲鳴」とでもいう声を聞いたりしているので、教育委員会が不採択の指導をしたという部分が目に飛び込んできたのでしょう。

その中で、東京都教委、大阪府教委、神奈川県教委の3つの教委が問題にした個所は「国旗と国歌について『一部の自治体で公務員への強制の動きがある』と書いた一文だ。」という。これは「事実」に反するのか。当然、多くの方は事実だと判っているし、そのことを「なかった」ことにはできないでしょう。

また、この社説の最後は
「神奈川の教委は28校の校長に「採択の際に校名が明らかになると、さまざまな団体が来て混乱が起きる可能性がある」と伝えていた。強い不安を覚えた校長もいるだろう。
 教委が政治的な圧力を恐れて判断を左右することがあってはならない。「圧力次第で教育を振り回せる」という誤ったメッセージにもなりかねない。

 教育の中立を守りぬくという原則が問われている。 」
という言葉で締めくくられている。

もう一点ネットの利便性は22日の段階で産経新聞が「教育委員の懸念よりも学校の判断を優先 埼玉」という記事があることを知らせてくれる。http://sankei.jp.msn.com/region/news/130822/stm13082221580003-n1.htm

埼玉と東京、神奈川、大阪の違いはどこにあるのか。これで振り回されるのは誰なのか。教育は誰のためにあるのか。様々な疑問がわいてきました。