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書棚から呼びかけられて

今朝の呟き(ツイート)に少し手を入れて構成しました。

書棚を眺めていて、なんの気無しに手に取った本が、まさに今の状況を指し示している内容であったりした時の嬉しさは格別。以前に読んでいた記憶がどこかで繋がっているのかな。そんな一冊、鷲田清一著「死なないでいる理由」角川ソフィア文庫。

「死なないでいる理由」のあとがきには文庫化される6年前に同じタイトルで単行本を出された鷲田さんが、胸のつかえを感じたまま角川からの文庫化にあたり全面的に「新しい本」として出されたこと、また、「死なないでいる理由」を終生の主題と思い定めていいのだろうと書かれている。

2008年に出されたこの本が、本棚から「もういっぺん目を通して」と呼びかけたのだろうか。プロローグに続く第一章、「寂しい時代」の第3項で「うつろいゆく成熟のイメージー教育という装置」には「おとな」と「こども」の境目など、今、さらに混沌の度合いが増している状況を鋭く描かれる。

引用です。「これ以上向こうに行くと危ないという感覚、あるいはものごとの軽重の判別、これらをわきまえてはじめて「一人前」である。ひとはもっと「おとな」に憧れるべきである。そのなかでしか、もう一つの大事なもの、「未熟」は護れない。
「死なないでいる理由」(現代おとな考:角川ソフィア文庫p.72)

哲学者鷲田清一先生が阪大総長時代、「ナカノシマ大学」のキックオフイベント「街場の教育論」でご一緒した。それがきっかけになって「おせっかい教育論」(出版140B)の出版に繋がった。市長時代に得られた多くの人たちとの繋がりが最大、最高の「役得」であると、この頃しみじみ思う。

哲学者の書く本は難しいやろな…そんな先入観は専門にされている方以外には共通だと思う。でも、ワッシー(失礼)に紡ぎ出される言葉には「ひとの体温」を感じられ、思わず小膝を叩くことも多々。